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シャトー ムートン ロートシルト [1994] ポイヤック 1級格付けChateau Mouton Rothchild Pauillac Grand Cru 750mlボルドー 赤ワイン

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フランス ボルドー メドック ポイヤック 五大シャトー 1級シャトー シャトームートンロートシルト ロスチャイルド カベルネソーヴィニョン メルロー カベルネフラン 赤ワイン ワイン フルボディ プレゼント ギフト 高級 グランヴァン バースデーヴィンテージ オールドヴィンテージシャトー・ムートン・ロートシルト CH. MOUTON ROTHSCHILD  100年以上も変更されることのなかった1855年のメドックの格付け。 それを覆し、第一級に格上げされた唯一のシャトーが、このシャトー・ムートンです。 ユダヤ系の大富豪ロスチャイルド家がこのシャトーを買収したのは、1853年のこと。 ところが、その2年後のメドックの格付けで、必ず一級を取ると思われていたムートンは、二級に格付けされてしまいました。 これに奮起したロスチャイルド家は、 「一級にはなれないが二級には甘んじれぬ、ムートンはムートンなり」 と言い放ち、畑、醸造技術、熟成方法などに改良を加え、一級になるために様々な働きかけを行ってきました。 1855年のボルドー格付けから、118年後の1973年、4世代にわたる努力の末、 シャトー・ムートンは悲願の昇格を果たします。 その時、 「われ一級になり、かつて二級なり、 されどムートンは昔も今も変わらずムートンなり」 という名句を残しました。 故フィリピーヌ・ド・ロートシルト男爵夫人(1933~2014年) 1級に昇格させたユダヤ人の父、フィリップ・ド・ロートシルト男爵は、波乱万丈の人生を歩みました。 最初の夫人との間に、一人娘のフィリピーヌ・ド・ロートシルトを設けました。 第二次世界大戦中の1940年5月にドイツ軍が破竹の勢いでフランスへ進撃してきた。 ドイツ軍のパリ接近の報を聞くと妻エリザベート(愛称リリー ユダヤ人では無い)と娘フィリピーヌを伴って、ボルドーのシャトー・ムートンへ逃れました。 しかしドイツ軍の足音がボルドーまで迫ってきました。 ユダヤ人の父、フィリップ男爵は危険が迫っている身でありながら従業員たちがしばらくの間は給料に困らぬよう金を隠して置いていきました。 母親のリリーとフィリピーヌはドルドーニュの友人のところへ送り届け、男爵自身は南へ逃れました。 その後しばらくフランスの非占領地域などから逃げ回っていたが、ヴィシー政府の反ユダヤ政策も激化し、1942年単身でフランス出国をしました。 フィリップ男爵はイギリスでシャルル・ド・ゴールの自由フランス軍に入隊し、暗号解読部に所属した。自由フランス軍時代に第4級レジオンドヌール勲章を受章しています。 母子でナチスから逃げる流浪の旅が始まった・・・ この際に妻リリーにもフィリップ男爵と一緒に逃れるよう求めたが、彼女はユダヤ人に非ずカトリック教徒なのす。 ましてや、傀儡政権のペタン元帥の側近に友人もいるので大丈夫だといってフィリップ男爵との同行を拒否し、娘のフィリピーヌとフランスに残りました。 しかし、時が流れるにつれ、ユダヤ人への弾圧が高まり、親類知人を頼りに親子で匿ってもらいながら、次から次へと宿泊地を変えて息を潜めていました。 幼い8歳のフィリピーヌの手を引いて、ロートシルトという名を隠して、ナチスゲシュタボの足音に震えながら・・・ いつまで続くか分からない流浪の旅を続ける親子は、まさに日本映画「砂の器」のようです。 そして、ついに魔の手が・・・ゲシュタボの右手がリリーの髪の毛を鷲掴みにしました。 あと3週間という第二次大戦終結前に、リリーがパリでゲシュタポに逮捕され移送列車に乗せられました。 危機一髪で、当時10歳のフィリピーヌは親戚の家に隠れていた時でした。 妻リリーが移送されて命を落としたラーフェンスブリュック女性強制収容所。 女囚を中心とする収容所だった。ベルリンの北80キロ 映画化不可能と言われる、ラーフェンスブリュック女性強制収容所は、まさに生き地獄を絵にかいたような凄惨な収容所です。 反抗や失態をした囚人には女性だからと手心が加えられることは全く無く、他の収容所と同様に恐ろしい「罰」が下されました。 殴打や犬に襲わせるといった虐待は日常茶飯事だが、他にもさまざまな罰が存在しました。 棒で殴りつける「棒打ち」は反抗や失態の重さに応じて25回・50回・75回の3つが定められていました。 50回の「棒打ち」に処された者は致死率が非常に高かったようです。 75回はほぼ確実に絶命したようです。 ラーフェンスブリュックでの処刑は絞首刑・銃殺・毒殺・ガス殺でもって行われていました。 絞首刑は点呼の際に全員が見ている前で執行されたのです。 死体は一日以上吊るされて晒しものとされました。 銃殺は死体焼却炉のそばの「銃殺刑囚の通路」と呼ばれる場所で行われていたのです。 また、外見が魅力的な人は、慰安婦としての役目も有りました。 文字に列記するのに耐えれない、非人道的で残酷な事実が多い収容所です。 シャトー・ムートンといえば、毎年変わるアートラベルにコレクターが多いことでも知られています。 シャトー元詰めが始まった記念すべきヴィンテージである1924年に描かれたのが、ポスター作家ジャン・カルリュによるラベル。 その20年後、第二次世界大戦が終わりフランスが解放された1945年には、チャーチルのVサインを表すラベルが選ばれました。 その後も、ミロやピカソ、シャガールといった著名な芸術家たちが、素晴らしい芸術作品を提供してきました。 その時代を生きるアーティストたちが思い思いに描くラベルはそれぞれの時代の世相を反映した貴重な歴史でもあります。 2013年ラベル 作家 李 禹煥(リ・ウーファン 1936年生まれ) 大韓民国慶尚南道に生まれ、日本を拠点に世界的に活動している美術家。多摩美術大学名誉教授。  こうしたアートラベルは、世界に類を見ないワインをテーマとした膨大なアートコレクションと共に、1962年に完成したシャトー内の美術館に展示。 シャトー・ムートンをトップシャトーに押し上げた伝説の人物である、フィリップ男爵は、その卓越した先見の明によってアメリカ・カリフォルニアに進出。 カリフォルニアワイン界の重鎮、ロバート・モンダヴィ氏とタッグを組んで夢のワインを生み出しました。 それがオーパス・ワンです。 続いて1997年に誕生したワインがアルマヴィーヴァ。 ムートン・ロートシルトを取り巻くブレーン Mouton Cadet Winemaker ムートンカデ ワインメーカー Ophelie Loubersac オフェリエ ルーベルサック嬢 “New World Meets Old World”新旧ワインを知る醸造家 フライングワインメーカー オフェリエ嬢は、難関のモンペリエ大学において、農業工学最高学位を取得。季節ごとにフランスと南半球を往復する美人です。 Chateau Mouton Rothschild 香りは複雑で、レザーや蜜蝋のノートとほのかに動物的な香り。フローラルなアロマと芳ばしい樽香によって、全体がエレガントに引き立てられています。 口当たりはしなやかで上質なバランスが魅力。丸みのあるタンニンを含み、余韻が長く後味には豊かな果実の風味が残ります。 ラベルはオランダ人画家のカレル・アぺル。 ※商品画像はイメージです。 入荷時によりラベル、デザイン、ヴィンテージ、などが実物と異なる場合がございます。 ※別店舗と並行して販売いたしております。 在庫の管理には注意を払っておりますが、別店舗との売り違いにより売り切れの場合がございます。 何卒ご了承の上、ご購入頂きますようお願い申し上げます。 ※ブレンド比率や他詳細データ(輸入元提供)などは掲載時点のデータです。 購入時点でのデータと異なる場合もございます。