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【DVD】2019石見神楽東京公演 BLP-IWA-002
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レビューを書いて 緑花堂5%OFFクーポンGET!レビューを書いたらメールでお知らせくださいね2019石見神楽東京公演石見神楽は伝統芸能である前に神楽であるという認識を持った上で、「型」を活かした舞を表現することが大切だと思います。本公演では亀山社中の「型」の美しさ、品格ある舞を存分に味わっていただきますよう、ご案内いたします。撮影:2019年6月1日(土) 東京都足立区千住 シアター1010 発売月2019年7月 DVD3枚組/カラー/3枚合計310分/リージョンフリー/16:9/片面1層 著作:石見神楽東京公演首都圏実行委員会 製作:石見工房 石見神楽は、室町時代の後期にはすでに舞われていたとも言われ、明治時代の「神職演武禁止令」により氏子へと受け継がれました。「石見神楽八調子」は、浜田の人々の進取闊達な気質により誕生しましたが、以来石見の地で長い歴史を刻んできました。地域の伝統芸能として、どっしりと根付いて人々の日常の中にあります。ある意味では、石見神楽は石見の地にあるからこそ、石見神楽だとも言えます。本公演は、シアターセンジュという素晴らしい劇場に相応しい演出をご用意していますが、浜田や石見地方での石見神楽も、ぜひご覧になっていただければと思います。日本には世界に誇る数々の伝統芸能がありますが、これらの伝統芸能に共通する点は、「型」です。石見神楽の舞には「型」と「所作」がありますが、時代が流れていく中で「型」の重要性が忘れられていく傾向があるように感じます。「型」を追求していくと自ずと個性がにじみ出てくると、ある能楽師の方が言われましたが、全くその通りだと思います。石見神楽は伝統芸能である前に神楽であるという認識を持った上で、「型」を活かした舞を表現することが大切だと思います。本公演では亀山社中の「型」の美しさ、品格ある舞を存分に味わっていただきますよう、ご案内いたします。 収録内容 DISC.1:帯舞・五條橋・大蛇・岩戸 DISC.2:恵比須・頼政・真榊・塵輪 DISC.3:八十神・黒塚・カーテンコール/フォトムービー 演目 「帯舞」 衣食住の「衣」に感謝をする神楽で赤・白の帯を持って舞う。神功皇后が応神天皇をお産みになられたとき、神の御心を慰め解きほぐすため、天より降りてきた帯とされ、神の心を和らげるものである。 「五條橋」 出典は義経記で、牛若丸(後の源義経)と武蔵坊弁慶の五條橋での出会いを神楽化したもの。比叡山西塔の弁慶は、毎夜、京の都に出ては刀狩をしていた。今日で満願という日、五條橋に化鳥の者が出没し通行人を悩ませているという噂を耳にした弁慶は、五條天神への参詣の道すがらこの化鳥の者を退治してやろうと思い立ち、五條橋へと赴いた。この化鳥の者の正体は、鞍馬の山を下り自分の力を試す牛若丸だった。出会うべくして出会った二人は、五條橋の上で一戦交え遂に弁慶は長刀を打ち落とされ降参する。そして永遠に主従の誓いを交わしたのであった。 「大蛇」 自らの悪行により高天原を追われた須佐之男命が、出雲の国斐の川にさしかかると、老夫婦に出会う。夫婦には八人の娘がいたが、毎年現れる大蛇に娘をとられ、残る奇稲田姫もやがて大蛇にとられる運命にあるという。命は、老夫婦に毒酒を用意させ、それを飲み酔い臥した大蛇を見事退治する。このとき大蛇の尾から出た剣を「天の村雲の剣」と名づけ、天照大御神に献上し自らの悪行を改める。剣は後に日本武尊により「草薙の剣」と改名、三種の神器の一つとして熱田神宮に祀られる。島根が舞台の神話で、石見神楽の代名詞とも言うべき神楽である。そのスケール感は他に類を見ず、浜田での提灯型蛇胴の開発により神楽界に一大革命を起こし、日本を代表する伝統芸能として、世界に招聘されている。 「岩戸」 弟神、須佐之男命の悪行に大御心を悩まされた天照大御神は天の岩戸にお隠れになり、世の中は常闇に。そこで兒屋根命、太玉命をはじめとする八百万の神々の神謀らいにより、宇津女命の御神楽の賑わいに少し開かれた岩戸を、手力男命が懸命に開き、世の中に再び光が戻る物語。この舞は、古事記、日本書紀を基とし、天照大御神の御神徳をたたえ、祭事および神楽の起源を語ろうとするもの。古くより石見神楽八調子の岩戸では、舞手は最後の喜舞で面(おもて)をはずし、神楽歌を歌いながら舞を舞い、その土地の平和、繁栄を祈願している。これは天照大御神を新宮へ案内してから後の喜舞で面をはずすことにより、舞っている役柄より大枠の、いち氏子として神への感謝の心を舞い、奉納するという敬神観念からの伝統です。 「恵比須」 島根県松江市美保関町、美保神社のご祭神で漁業、商業の祖神として崇拝される八重事代主命(恵比須大神)が、美保の岬において鯛釣りを楽しむ様を舞ったものである。事代主命は、出雲大社のご祭神、大国主命の第一の皇子で、大変釣りの好きな神様であったといわれている。恵比須の鯛釣りの場面のみの舞が舞われることが多いが、本来は旅人が美保神社を参詣し、宮人が神社の祭神の縁起を語り聞かせ、そのご神徳を述べる部分が前段にあり、福神として崇められる故を物語る風流な神楽である。 「頼政」 平安時代の末、幼くして即位された近衛天皇のころ、天皇は毎夜丑の刻になると、もののけに悩まされた。勅命を受けた弓の名人源頼政は一族の猪早太とともに東三条の森へもののけ退治へ向かう。やがて夜がふけ月夜を怪しい黒雲が覆った。もののけの気配を感じた頼政が「南無八幡大菩薩」と念じ弓を放つ。確かな手ごたえがあり、すかさず早太がとどめをさした。雲が晴れ月明かりに照らされた、そのもののけの姿は、頭は猿、体は牛、手足は虎、尾は蛇の姿をした怪物だった。また、その鳴き声は鶉に似ていたという。見事怪物を退治した頼政は、天皇より左大臣藤原頼長を介して、剣を授けられる。「平家物語」、源三位頼政の鵡退治伝説を神楽化したものである。 「真榊」 自然の神様に感謝する舞いで、衣装は烏帽子、狩衣で右手に輪鈴、左手に榊の枝を持ち東西南北、四方を舞い清める神楽。 「塵輪」 第14代天皇、帯中津日子命「仲哀天皇」が、異国より日本を我が物にせんと攻め来た数万騎の軍勢の頭、塵輪を天皇自ら家来の高麻呂を従え、天の鹿兒弓、天の羽々矢を以って退治したという神楽である。この塵輪は身に翼を背負い、色は赤く黒雲に乗って天地を自在に飛び回る大鬼だったという。 石見神楽の能舞の中では、「八幡」と並び基本の鬼舞とされ、悪い鬼が退治される善悪の明快な演目です。4人の激しい激闘はもちろんのこと、ゆったりとした天皇主従の神舞、天皇と別れ天空の鬼を探す高麻呂の舞、俊敏な白鬼、重厚な赤鬼の舞など見所が多い、石見神楽の中でも定番の演目である。 「八十神」 出雲大社のご祭神、大国主命が継兄弟の八十神たちと八上姫をめぐって争う様子を描いたもので、因幡の白うさぎの物語に続く内容が神楽化され、古くから伝えられたもの。八十神たちが八上姫に求婚するが八上姫は大国主を選ぶ。これによって八十神たちは大国主を殺害しようと計略を練り、大石を焼いて赤イノシシといって転がしたり、木の割れ目に挟んだり策略を図るが、これらの試練を乗り越えた大国主命についには滅ぼされてしまう。 この神楽は八十神(兄まあ・弟まあ)の方言丸出しのやりとりが大変おもしろく、前半のユーモラスなシーンと、後半の鬼気迫る太刀合戦が見物となっている。 「黒塚」 熊野、那智山の東光坊の高僧、阿闇梨祐慶大法印が剛力と修行の旅の途中、那須野ヶ原を通りかかり、九尾の悪狐が人々に害を与えていると聞き、人々のために、この悪狐を退治しようと出かける。そこで一夜の宿を借りるが、そこの女主人=悪狐に化かされて法印は逃げ去り、剛力は食われてしまう。それを知った弓の名人、三浦ノ介、上総ノ介により悪狐は退治される。この舞は、宿の主人と剛力や法印の方言を交えたユーモアのあるやりとりや、女が姿を変えた悪狐に2人が追われ、観客の中に入る他の舞にない魅力がある。出演:石見神楽亀山社中石見神楽亀山社中は、島根県西部の石見地方に伝承される「石見神楽八調子」を継承する神楽社中です。平成の時代を、石見神楽の伝統の継承と発展のために駆け抜け、令和という新しい時代が始まった本年、発足20年の節目を迎えました。また、この節目の年に幣頭(代表)を交代し、これまでの礎をもとに新たな気持ちで社中理念「温故知新」の精神を、時代を超えて次の世代へと継いでいきたいと考えております。社中員は10代から70代までの幅広い年代で構成されていますが、それぞれが学校や仕事を終えた後に集い、週に2回の練習に励みながら、地域が誇る伝統芸能である石見神楽八調子の伝統と舞を継承し、精進研鑽を重ねています。これからも敬神感と神楽の根本である祈りを忘れることなく、神社祭祀での奉納神楽を大切にしながら、一方で舞台での公演や県外国外での公演などを通して、石見神楽の魅力を積極的に発信し続け、地域の活性化のために貢献していく所存です。