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マックス エルンスト マスク リトグラフ 1950年

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 作家名 マックスエルンスト  制作年 1950  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦33X横50.2cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦53.2X横70.9cm  額の状態 新  品  限定 200部  サイン 鉛筆サイン  額の仕様 木地白磨額縁  マット 白紙マット 格安卸価格税込345,600円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 マックス エルンスト(1891-1976) 1891 マクシミリアン・エルンスト(マックス)は、ブリ     ュールで聾唖学校の教師かつアマチュアの画家     フィリップ・エルンストを父とし、ルイーゼを     母として生まれる。     父フィリップは厳格なクリスチャンであり、マ     ックスを敬虔な信徒として教育するとともに、     彼を絵画のモデルとして使っている(「幼児キリ     ストとしてのマックスエルンストの肖像」など) 1909-12ボン大学において、哲学、心理学、美術史を学ぶ     フィンセント・ファン・ゴッホの絵画に触れ、     画家を志す 1912 アウグストマッケの「ライン地方表現主義者グ     ループ」に参加。ギヨーム・アポリネールとロベ     ール・ドローネーとの交流をもち、「青騎士」     グループとも接触 1913 ジャン・アルプに会う 1914 第一次世界大戦勃発     砲兵隊員として軍務につく 1916 ダダイストたちとの最初の展覧会 1917 「デア・シュトゥルム」誌が論文「色彩の発達」     を掲載 1918 美術館副管理長のルイーゼシュトラウスと結婚 1919 パウル・クレーに会う     ジョルジョ・デ・キリコに捧げたコラージュ・ア     ルバム「流行は栄えよ、芸術は滅ぶとも」出版 1920 ポルノグラフィー制作の容疑で起訴され、父か     らの呪詛とアンドレ・ブルトンらパリのダダイ     ストよりの共感を受け展覧会開催を勧められる     息子ウルリッヒ(ジミー・エルンスト)誕生 1921 ポール・エリュアールに会い「永遠の」友情を     結ぶ    「セレベスの象」制作 1922 エリュアール夫妻をパリに訪ね、ともに「神々     の不幸」「反復」を出版     ルイーゼとの離婚を済ませぬ前に、ガラ・エリュ     アール夫人と友情を越えた関係を持つが、夫の     ポールは黙認するどころか集団恋愛に耽る 1923 アンデパンダン展に作品を出品 1924 絵画「美しき女庭師」でキュビストとして賞賛を     得るがナチスに作品を持ち去られ、「退廃芸術     展」にて晒しものにされる     サイゴンに旅行し、失踪しようとしたエリュア     ールを説得     ブルトンの「シュルレアリスム宣言」に共感し、     シュルレアリスム・グループに合流する     「ナイチンゲールに脅かされる二人の子供」制作 1925 フロッタージュの手法に目覚める     シュルレアリスム・グループ展に参加 1926 「博物誌」出版     パリで初の大規模な作品展を開催     ジョアン・ミロとともにセルゲイ・ディアギレフ     のバレエのための衣装、装置を制作 1927 映画脚本家ジャン・オーランシュの妹マリー=     ベルト・オーランシュ結婚 1929 「頭女」を出版     ルイス・ブニュエルの依頼で、彼とサルバドール     ダリの映画「金時代」の簡単な役を引き受ける 1930 「カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢」     出版 1931 アメリカで初の作品展を開催 1934 アルベルト・ジャコメッティとスイスで過ごし、     彫刻作品を手がける    「慈善週間」を出版 1935 「ニンフ・エコー」、「都市の全景(完全都市)」     制作 1936 レオノール・フィニと親密になり、2年ほど交     際する     マリーと別離 1937 「カイエ・ダール」誌に評論「絵画の彼岸」が掲載     される     アルフレッド・ジャリの戯曲「鎖につながれたユ     ビュ」の装置制作     イングランドの画家レオノーラ・キャリントン     に出会い、パリで共に暮らす 1938 ブルトンによるシュルレアリスム・グループか     らのエリュアールの追放の呼びかけに反対し、     グループを離れる     キャリントンと南仏のサン・マルタン・ダルデシ     ュに移住し、彼女の小説「恐怖の館」「卵型の貴婦     人」の挿絵を手がける 1939 第二次世界大戦勃発とともに、敵性外国人とし     て逮捕され、エクス・アン・プロヴァンスのレ・     ミル収容所に収監されるが、エリュアールの助     力により保釈 1940 今度はゲシュタポに逮捕されて再びレ・ミルに     収容される     「レ・ミルのモンマルトル」と呼ばれたこの収容     所には芸術家が多く、ハンス・ベルメールとは     同室     この事件後、キャリントンはスペインに逃れる     が、衝撃によって精神を病み入院     回復後、メキシコ人外交官と結婚して米国に亡     命する 1941 エレノア・ルーズベルトの支援によって結成さ     れた緊急救助委員会(ERC)によりマルセイユに     派遣された米国のジャーナリスト、ヴァリアン     ・フライらの尽力により、スペイン経由でニュ     ーヨークへ脱出     経済的に支援した美術品収集家ペギー・グッゲ     ンハイムと結婚するが、間もなく離婚     マックスの心中には未だキャリントンの存在が     あった     この年ブルトンと和解、亡命シュルレアリスト     ・グループに加盟 1942 「雨後のヨーロッパII」制作     ニューヨーク、シカゴ、ニューオーリンズで作     品展     オシログラフ(振動描画)を経てアクション・     ペインティングに目覚める     シカゴにいた音楽家ジョン・ケージと接触をも     ち、ニューヨークの自宅に招く 1943 ドロテア・タニングと出会ってすぐ親密になる 1946 タニングと結婚     アリゾナに移住する    「ユークリッド」、彫刻「山羊座」制作     ハンス・リヒター監督の映画「金で買える夢」脚     本協力 1948 アメリカ国籍を得る 1949 パリへ戻り、旧友たちとの生活を取り戻す 1950 パリで回顧展 1954 ヴェネツィア・ビエンナーレ展で大賞を受賞 1955 ビエンナーレ大賞受賞を非難してシュルレアリ     スムからの彼の追放を宣言したブルトンと絶縁    「大アルベルトゥス」制作 1956 ベルリン芸術アカデミー会員に任ぜられる 1958 フランスの市民権を得る 1959 パリで大回顧展 1964 「マクシミリアナ」を出版 1968 オリヴィエ・メシアンのバレエ「ラ・テュランガ     リラ」の装置を手がける    「美しき女庭師の帰還」制作 1972 ジョルジュ・リブモン・デセーニュの「兵士のバ     ラード」の挿絵制作 1975 ニューヨークグッゲンハイム美術館で大回顧展 1976 満85歳の誕生日より一日前に、パリにて死去 2005 故郷ブリュールにマックス・エルンスト美術     館開館マックス エルンストマスク コラージュやフロッタージュ、グラッタージュなどの技法 を発見、またデカルコマニーやオッシレーションなどの、 新たな制作技術を飛躍的に発展させたマックスエルンスト