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アルフォンス ミュシャ リトグラフ 四季1896 リクリーエーション ミュシャ財団の保証書付

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 作家名 アルフォンス ミュシャ  技法 リトグラフ  絵サイズ 縦39X横56cm  絵の状態 良  好  刷り師 David Copson  額サイズ 縦70.2X横84.9cm  額の状態 新  品  限定 300部  サイン ミュシャ刷り込みサイン  額の仕様 金装飾額縁  マット 白紙マット 保 証 書ミュシャ財団保証書 格安卸価格税込54,000円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 新品額装してお届けしますので12日程納品にお時間を頂きます アルフォンス・ミュシャAlfons Maria Mucha 1860 7月24日、現在のチェコ共和国南モラヴィア地方の     イヴァンチッツェに生まれる     チェコ語ではアルフォンス・ムハ 1871 ブルノの中学校に通う     聖歌隊で後の作曲家レオシュヤナーチェクと知り合う 1873 最初の公的な仕事、ウスチー・ナド・オルリツィ合唱     団の聖歌集の表紙を描く 1875 変声期のため聖歌隊を続けることができなくなり故郷     のイヴァンチッツェに戻る     書記になってデッサンに励む 1877 プラハの美術アカデミーに入学を希望するが不許可 1879 広告に応募してウィーンに行き、舞台美術の工房で働     き、夜はデッサン教室に通う 1881 12月10日、ウィーンのリング劇場焼失     工房はミュシャを含むスタッフの一部を解雇 1882 ウィーンを去ってミクロフで土地の名士たちの肖像を     描いて生計を立てる 1883 ミクロフの領主クーエン・ベラシ伯爵に雇われ、エマ     ホフ城の食堂と図書室の絵画を修復する     伯爵の弟がミュシャの最初のパトロンになる 1884 クーエン伯爵の援助でミュンヘンに留学 1885 ミュンヘンの美術学校に入学 1887 パリに出る 1888 アカデミー・ジュリアンに入る 1889 アカデミー・コラロッシに移る     年末、伯爵の援助が突然打ち切られる 1890 フランスの雑誌に初めてミュシャの挿絵が登場 1891 ポール・ゴーガンと出会う 1892 「ドイツの歴史の諸場面とエピソード」の挿絵の依     頼を受ける 1894 サロン・デ・ザルティスト・フランセに「ドイツの     歴史の諸場面とエピソード」の挿絵の原画4点を出品     優秀賞牌を受ける     「ジスモンダ」に主演するサラベルナールのために最初     のポスターを制作 1895 「ジスモンダ」のポスターがパリの街に貼りだされ、     ミュシャの名声が高まる     その後6間サラ・ベルナールと契約を結ぶ 1896 最初の装飾パネル〈四季〉を制作 1897 最初のミュシャ個展が開催さる     カタログ収録作品数107点     サロン・デ・サンで2回目の個展開催     カタログ収録作品数448点     [ラプリュム]誌個展期間中にあわせてはミュシャ特集     号刊行     「トリポリの姫君イルゼ」出版、134点の挿絵を担当 1898 パサージュ・スタニスラスで「紳士淑女絵画教室」     を開講     バルカン諸国を旅行     「スラヴ叙事詩」の最初の構想を持つ 1899 1900年パリ万博に向けて、博覧会の公式カタログの     表紙、ボスニア=ヘルツェゴビナ館の装飾、オースト     りア=ハンガリー帝国のポスターなどの注文を受ける 1900 サラ・ベルナールとの契約終了     パリ万国博覧会ボスニア・ヘルツェゴヴィナ館の装飾     で銀賞受賞     フーケ宝飾店のためのデザインを始める 1901 パリのロワイヤル街にフーケ宝飾店が開店する     レジオン・ド・ヌール勲章を授章     チェコ科学芸術アカデミーの会員に推挙 1902 チェコの芸術家協会「マーネス」がプラハで大ロダン     展を開催     ミュシャは友人のロダンを伴いプラハとモラヴィアを     訪ねる     ロダンはモラヴィアの民俗芸能に驚嘆する    「装飾資料集」刊行 1903 バリで未来の妻マルシュカ・ヒティロヴァに会う     彼女は一時ミュシャの生徒だった 1904 「クオ・ヴァディス」完成     アメリカに招かれる     祖国の為の制作に専念するため、上流社会の肖像画を     描く     「ニューヨーク・デイリーニューズ」紙がミュシャ特集     号を出し、ミュシャは「友情」を発表 1905 「飾人物集」刊行     イラーセクの小説「すべてに抗して」を読みチェコの     歴史や偉大さを絵画で表現することを決意する     ニューヨークでチェコの名ヴァイオリニスト、ヤン・     クーベリックと懇意になる 1906 マルシュカ・ヒティロヴァとプラハで結婚     ハネムーンをボヘミア南西部で過ごす     そこで〈真福八端〉を描き、妻マルシュカが絵の装飾     を描く     秋、妻と共にアメリカに出発     シカゴの美術研究所で講義を始める     ニューヨークの女子応用美術学校の教授に任命される 1907 ルーマニア皇帝より最高勲爵士授与 1908 「ハーモニー」など、ニューヨークのドイツ劇場のた     めの装飾画を制作     ボストン交響楽団のスメタナの連作交響詩「わが祖国」     を聞きスラヴの連帯を促進し芸術を通してスラヴ諸国     の文化を広めるために生涯を捧げる決心をする 1909 娘ヤロスラヴァがニューヨークで生まれる     チャールズ・R・クレインがミュシャの「スラヴ叙事詩」     の計画に賛同し、財政援助に同意 1910 西ボヘミアのズビロフ城の一翼をアトリエと住まいと     して借り、そこで18年間「スラヴ叙事詩」の制作を     続ける 1911 プラハ市民会館の壁画制作をはじめる     アドリア海岸で「スラヴ叙事詩」の最初の油彩スケッ     チを描く 1912 「スラヴ叙事詩」の最初の3点が完成し、プラハ市に贈る 1915 息子イジーが生まれる 1918 チェコスロヴァキア共和国の新しい国章、郵便切手、     紙幣をほとんど無償でデザインする 1919 5、100、120コルナ紙幣のデザインをする     [スラブ叙事詩]の最初の11点をプラハ、クレメンテ     ィナムで展示 1920 アメリカヘ向けて出発 1921 「スラヴ叙事詩」5点をニューヨーク・ブルックリン     美術館およびシカゴ美術館で展示、成功を収める 1928 「スラヴ叙事詩」20点をチェコ国民およびプラハ市     に贈呈する用意があると発表     これらの作品を産業博覧会の新会館で展示 1931 プラハ、聖ヴィタ大聖堂大司教礼拝堂のステンドグラ     スのデザインを制作をする 1936 フランチシェック・クプカと共にパリのジュドポム美     術館で作品展示     ミュシャのカタログ収録作品数は139点 1938 肺炎にかかり、健康を害する 1939 ナチス・ドイツ、ボヘミアとモラヴィアを併合     チェコスロヴァキア共和国は解体させられ、     3月15日ドイツ軍がプラハに入場     7月14日、プラハでミュシャ死去 享年78歳アルフォンス ミュシャ四季1896(リクリーエーション) 上記の額縁とは異なる額装でお届けとなります通常はこちらの額縁となります。 アールヌーヴォーの精華アルフォンス ミュシャ リクリエーションとは、ミュシャ財団公認の再創造 リトグラフです。ミュシャ財団の保証書が付きます ミュシャ財団はミュシャの正規相続人の財団です  本作において季節感を表すものとしては、「夏」は 赤色のケシの花むき出しの足をひたしている冷たい 水であり、足を水につけて涼をとっている「冬」ゆっ たりした衣服で身を包んでおり、寒さに凍える小鳥 に温かい息を吹きかけている。「秋」は女性が摘み取 ろうとしているブドウである。「春」では春らしい花 に囲まれて竪琴に留まった数羽の小鳥がさえずって いる。この連作では、4つの季節がミュシャらしく すべて若い女性に擬人化されている代表作である。 新品額装してお届けしますので12日程納品にお時間を頂きます