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ジョルジュ ルオー イルマ嬢 ユビュ親父の再生 銅版画 1928年 限定305部

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 作家名 ジョルジュ ルオー  制作年 1928  技法 銅版画  絵サイズ 縦30X横18cm  絵の状態 良  好  額サイズ 縦59X横47.5cm  額の状態 ほぼ良好  限定 305部  サイン 無し  額の仕様 黒木生地額縁  マット 麻布マット 格安卸価格税込59,400円 注意書き:モニター発色の具合により色合いが異なる場合がございます。 「ユビュ親父の再生」は1896年にパリのラ・メゾ ン・ドレーヴル劇場で初演されたアルフレッド・ジャ リ(1873-1907)の戯曲「ユビュ王」に由来する。 ジャリの生んだ"ユビュ"は、破天荒な怪物でありなが ら、同時に特定できない「タダノヒト」でもあるとい う不思議な存在である。 王を殺し、裁判官を殺し、金のために無差別に人を殺 す、かと思うとわが身を守るためにいくらでも臆病で 、卑劣にもなれる。 「ユビュ王」はどこにもない場所で、どのように演出 することも、どのように読み取ることも自由な限定さ れない戯曲である。 そのためにさまざまな演出で、常に新しい劇として今 も上演され続けている。 画商アンブロワーズ・ヴォラール(1867-1939)もこ の怪物に魅せられ、ユビュを政治家たちの悪徳の象徴 としてとらえて、政界のカリカチュア「ユビュ親父の 再生」を書き、ルオーに挿絵を依頼した。 ヴォラールの依頼を受け、ルオーは、6年の歳月をか けて22点の銅版画と104点の木版画で、独自のユ ビュの世界を創りあげた。 その世界はルオーの他の作品にみられるような自己の 内面から湧きでる精神性をもった表現となっている。 ジョルジュ ルオー(1871-1958) 1871 パリの家具職人の家庭に生まれる     装飾美術学校の夜学に通う 1885 ステンドグラス職人のもとで見習い(-90)     ユイスマンなど熱心なカトリック作家たちと出     会い、キリスト教的世界への関心を深める 1890 エコール・デ・ボザールに入学、エリ・ドローネ     の教室に入る 1891 ギュスターヴ・モローに師事     マティス、マルクらと出会う     ローマ賞に出品をするが全て落選 1895 モローのすすめで学校を退学する     聖書より題材を得た油彩画をフランス芸術家展     に出品(-1901) 1898 モローの死後モローの作品を所有するモロー美     術館の館長を任される 1902 健康を害し療養生活( -03)     青みかかった色調で、娼婦、道化師らを表現     主義的に描く画風となる 1903 サロン・ドートンヌを創立し、その後5年続けて     出品 1906 ベルト・ヴェイユ画廊で展覧会 1908 イルマ嬢 1910 パリのドリュエ画廊で初めての個展 1911 宗教的テーマをてがけていく 1914 画商ヴォラールから版画シリーズの注文を受け     制作( -18) 1918 キリストやピエロの顔などを制作     宗教的テーマがますます多くなり、色彩は多色     になっていく 1920 ラ・リコルヌ画廊で個展 1922 バルバザンジュ画廊で個展 1924 ドリュエ画廊で大回顧展 1929 「放蕩息子」の舞台装置を手掛ける 1930 ロンドンのセント・ジョージ画廊、ニューヨーク     のブルンマー画廊、シカゴのアート・クラブ、     ミュンヘンのノイマン画廊など初の海外個展     この頃よりマチエールはさらに厚くなる 1937 プティ・パレ美術館での「独立芸術の巨匠展」に     42点展示 1938 ニューヨーク近代美術館で版画作品展 1945 ニューヨーク近代美術館で大回顧展     アッシーの教会のステンドグラスもてがける 1948 モノクロ・アクアチント58枚組「ミゼレーレ」     を制作     ヴェネツッア・ビエンナーレに油彩画26点と     版画12点を出品     チューリッヒのクンストハウスで大回顧展     ガレ画廊で『ミセレーレ』が展観 1951 生誕80を記念しカトリック知識人センター主催     で「ルオー礼讃」の夕べが開かれる 1952 ブリュッセルベルギー王立美術館、アムステル     ダム市立美術館、パリ国立近代美術館で回顧展 1953 クリーヴランド美術館、NY近代美術館、東京     国立博物館、大阪市立美術館などで回顧展 1954 ミラノ近代美術館で回顧展 1958 死去 享年86歳ジョルジュ ルオーイルマ嬢(ユビュ親父の再生)  濃く太い墨色の輪郭線と鮮やかな色彩が 特徴的な独自の画風を確立した、20世紀 最高の宗教画家であるジョルジュ・ルオー